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盛岡地方裁判所 昭和30年(わ)111号 判決

被告人 藤村昭五

昭五・九・一三生 自動車運転者

主文

被告人を禁錮一年に処する。

未決勾留日数のうち四〇日を右本刑に算入する。

理由

(事実)

被告人は昭和二五年七月六日岩手県公安委員会より普通自動車の運転免許を受け、盛岡市内の自動車会社でトラツクの運転者として働いたり、花巻市内の自動車修理工場で修理工見習として働いたりなどしたのち、同二九年四月下旬同市湯本第一地割二〇二番地に本店をもつ花巻電鉄株式会社に自動車運転者として雇われ、同社自動車営業所詰を命ぜられ、定期バスの運転にあたるかたわら、時折り貸し切りバスの運転にあたつていたが、同三〇年四月右会社において日野デイーゼルB・H一二型一九五五年式乗合用普通自動車岩二―一一九号(車体の全長九・九六米、幅員二・四六米、重量六・八一二瓲、乗車定員四六名)を買い入れ、これを主として観光旅行用の貸し切りバスとして使用することとなるにあたり、被告人は同年五月一日付をもつて右自動車の専属運転者を命ぜられ、爾来その自動車の運転の業務に従事していた。

そのようにしているうち、岩手県稗貫郡石鳥谷町八日市小学校の六年生が花巻電鉄株式会社の観光旅行用のバスを利用して一泊旅行を行うに際し、被告人は同社の上司より車掌鎌田政男の同乗のもとに前記自動車を単独で運転しこれを輸送することを命ぜられ、昭和三〇年五月一三日早朝八日市小学校から同校六年生および付添の教員、父兄など合計五二名の乗客を乗車させて出発し(乗車全人員五四名の手廻品、衣服類などを除く体重の総量はおよそ二・〇六余瓲)、仙台から塩釜にいたり同地で宿泊し、翌一四日には松島、石巻、渡波、古川などを経て帰途につき、同日夕刻北上市相去町付近を通過する頃薄暮となつたため(日没は同日午後六時三八分頃)、前照灯を点じて運転を続け花巻市方面に向つて北進する途中、同日午後七時三〇分頃時速四〇粁の速度で北上市飯豊町字村崎野第二〇地割先の一級国道四号線(通称陸羽街道)を横断する飯豊川に架つている飯豊橋の南方にさしかかつた。右飯豊橋は大正一〇年一二月に架設された木橋であつて、腐触し易い欄干、地覆木、並べ木、橋脚その他についてときどき補修または改修工事を重ねた全長約三三・五米、両側欄干の外側間の間隔約五・九九米、両側欄干の下に取りつけてある地覆木内側間の幅員は約五・六五米であるが、両側の欄干はそれぞれ若干内傾しており、橋上の覆土部分の両側は外方にかなり傾斜していわゆるかまぼこ型となり(覆土上部よりその下部並べ木などに達するまでの厚さは、中央部分で約三七糎、地覆木付近で約一六糎)、外方に傾斜している部分の覆土は軟弱となつており、ことに両側地覆木間の下に東西に隙間なく敷き詰めてある直径一〇余糎の並べ木は橋脚に接着する最外側寄りの桁木の外側から五五糎前後(地覆木内側までは三六糎前後)、何らの支えもなく突きでている規模構造をもち、また前記国道の現場管理者たる北上建設事務所長がその構造、位置などにかんがみ道路標識により六瓲の重量制限をしている老朽した橋であつた。そして被告人自身も累次にわたる飯豊橋通過の経験により、同橋が幅員の狭い老朽した木橋であり、かつ六瓲の重量制限のあることを認識していた。

ところで、被告人は前記自動車を運転して右飯豊橋の南端より手前に六〇・五米付近の、北方に向つて緩かな下り勾配になつていて前方の見通しの利く地点にさしかかつた頃、一一〇余米前方の橋の北側から無灯火の自転車に乗つて対向して進行してくる山本鬼亥(当四五年)の姿を前照灯の光で発見し、さらに二二米位進行した際、右自転車の後部荷台に大量の藁束(横約一米、直径約九〇糎、重量約七五瓩)を積載していることを認め、ついで同人と橋上ですれ違わねばならぬ事態となつたが、当時四囲はすでに相当暗く前照灯の光で漸く山本およびその積荷を認めうるような状況のもとで、被告人の運転するような大型自動車と対向進行してくる大量の荷物を積載した自転車とが狭隘な橋上ですれ違うことは必ずしも容易でなく、とくに山本が自動車の前照灯による眩惑その他の事情によつて自動車の進路に進入してきて自動車と衝突または接触するにいたる危険の生ずることが予想され、その際被告人がそれらの危険を避けるため、自動車を橋の外側に寄せ、しかも相当な高速度をもつて運転進行すると、何時前記のように乗客を満載した自動車の総重量(約九瓲)によつて、六瓲の重量制限のある老朽した木橋の一部が損壊し、自動車が橋下に転落するかも知れぬおそれがあつたのであるから、かかる場合自動車運転者たる者は警音器を吹鳴して山本に警告を与えながら橋の中央部よりやや左側を進行し、たえず前方を注視し橋上における自己の位置を考慮して山本とのすれ違いに十分な間隔があるか否かを確認し、かつ同人および積荷との衝突または接触を避けるため必要に応じては何時でも急停車しうる程度に減速徐行すべきであつて、いやしくも相当な高速度で運転しつつ急激にハンドルを左に切り自動車を横の左側部に寄せすぎたりなどすることのないよう万全の措置を講じて進行し、右山本を避譲しようとすることに基いて生ずる事故の発生を未然に防止すべき業務上の注意義務があるといわねばならない。

しかるに、被告人は右の注意義務を怠り、自動車を右飯豊橋に乗り入れるにあたり、単に警音器を数回吹鳴し、時速を約三〇粁に減じ、自動車の左側外端が橋の西側欄干の内側より一米位離れた部分を進行したのみで前記山本と橋上で無事にすれ違いうるものと軽信し、漫然と運転を継続した過失により、橋の南端より九・四五米位前進した時、前方から橋の中央部よりやや東寄りを進んで来た山本が自動車の近接によつて危険を感じ自転車から下車しようとしたところ、荷重のためハンドルの平衡を失いにわかにふらふらと橋上中央部寄りの自動車の進路に入つてきたので、これを認めた被告人は自動車の前部または右側部と山本もしくはその積荷とが接触する危険を感じたが、軽卒にもハンドルの操作によつてこれを避けうるものと判断し、急遽ハンドルを左に切つたところ、左前車輪が橋の左端部分に向つて急激に進行し、それにともなつて車体が左方に強い遠心力を受け、かつ外方に低く傾斜している橋の西側部分に進入した左後車輪が左方に横すべりし、前進速度と合してやや左斜前方に向つて車体を若干左側に傾斜させながら進行するにいたつたため、被告人が再びハンドルを右に切り直そうとしたがその効なく、左前車輪の泥除板(フエンダー)が内傾していた欄干に接触し、また左側の前後車輪は進路上の覆土が軟弱なためと車体の傾斜による偏荷重とによつて該覆土中に深く喰いこみ、それらの摩擦抵抗を受けることによつて自動車はほとんど失速状態となり、他方左側の前後車輪はその付近の覆土の大部分を崩して直接並べ木に接着し、これに乗客および車体の全重量を加えたため、相当腐触していた並べ木がその重量に耐え切れず折損し、その前後の欄干、地覆木などをも破壊し、左前車輪下部が橋の西側南端より約二一・五米、左後車輪下部が同じく橋の西側、南端より約一六・五米の地点で自動車を橋下水面まで約六・六米の飯豊川に横転落下させ、よつて別紙死傷者一覧表のうち死者の部に記載のとおり乗客の佐々木ハツほか一〇名を頭蓋骨骨折などによつて即死させ、乗客の菊地芳子(当一二年)を頭蓋底骨折により翌一五日午前一一時五四分頃花巻市御田屋町二二七番地岩手県立花巻厚生病院において死亡させ、別紙死傷者一覧表のうち負傷者の部に記載のとおり乗客の藤原善誓ほか三八名に対しそれぞれ全治または加療一週間ないし四ヶ月間を要する傷害を負わせるにいたつたものである。

(証拠)(略)

(適条)

被告人の判示所為はいずれも刑法第二一一条前段、罰金等臨時措置法第二条第一項第三条第一項第一号に該当するところ、以上は一個の行為にして数個の罪名に触れる場合であるから刑法第五四条第一項前段第一〇条により犯情のもつとも重いと認める佐々木ハツに対する業務上過失致死罪の刑をもつて処断すべきである。そこで量刑について考えてみるに、被告人の本件所為は近代陸上交通の中心的存在であると同時に、多数の人命に対する危険を包蔵する自動車の運転者がその業務に従事するに際して要請される注意義務を欠いたことに基くものであり、ことに前途幾多の春秋に富む学童、一家の主婦などを含む一二名の貴重な生命が一挙に失われ、三九名の重軽傷者を出すという極めて重大な結果をもたらすにいたつたものであることを考えると、被告人の刑事責任は甚だ重いものがあるといわねばならない。また被告人は本件以前にも業務上過失傷害事件をひき起し昭和二九年一一月一日花巻簡易裁判所で罰金二、〇〇〇円に処せられた事実もある。他方、被告人は本件事故を発生させたことにつき深く悔悟の情を示し、本件発生直後自殺を図つたこと、被告人の雇主たる花巻電鉄株式会社は巨額の金員を投じて死者の遺族、負傷者などに対し極力慰謝の誠意を示し、それらの人との間に示談が成立していること、本件の発生が橋梁の管理上の瑕疵にも一半の責任があることなど被告人に有利な事情が認められる。しかし、これらの事情が存在するにもかかわらず、犯情を全般的に総合考察してみると、被告人に対しては相当の刑罰を科する必要があると認め、所定刑のうち禁錮刑を選択し、その刑期の範囲内で被告人を禁錮一年に処し、刑法第二一条を適用して未決勾留日数のうち四〇日を右本刑に算入し、訴訟費用については被告人が貧困であつてこれを納付できないことが明らかであると認められるので刑事訴訟法第一八一条第一項但書に則り被告人に対してはこれを負担させないことにする。

よつて主文のとおり判決する。

(別紙死傷者一覧表略)

(裁判官 降矢艮 岡垣学 矢吹輝夫)

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